▼久保町の名前の由来ですが、
▼「少年少女のための鹿沼の町名」 黒川常幸氏発行本によると・・・
源義家(※みなもとのよしいえ:平安時代後期の武将。八幡太郎(はちまんたろう))が奥州の安倍氏を討ちにいくときに鹿沼に一泊しました。奥州がおさまったので義家はいちじ松島(今の宮城県松島町)におちつきました。そのとき、鹿沼で義家につかえた女の人が義家をしたってたずねていきました。義家はその女の人に松島という姓を与えて鹿沼に帰しました。女の人は男の子を生んでと徳寿丸(とくじゅまる)と名づけました。義家はこの家族が安心して生活できるようにと土地とすまいを与えました。近くの人たちは、この家を尊敬して公方様(くぼうさま)とよんでいました。そのことから、この土地の名を公方町(くぼちょう)というようになりました。江戸時代のおわりごろになって、よい漢字をあてようということで久保町としたということです。 |