むかしの塩山村
「鹿沼市史資料編 近世2」参考
塩山村
西部は丘陵で山麓を南流する小藪川を灌漑用水とする水田稲作地帯である。元禄元年(1688)より幕末まで旗本畠山領となる。村高は元禄以降748石余で奈佐原村の助郷村であった。
塩山村の概要
村高は「慶安郷帳」では592石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに748石余。鹿沼藩領、武蔵岩槻藩領などを経て元禄期(1688〜1704)以降は旗本畠山氏の知行となる。畠山氏は高家の一つで、下野では村井村をはじめ13か村を支配し、都賀郡嘉右衛門新田(栃木市)に陣屋を置いた。文化元年(1804)時の家数80軒・人口337人。奈佐原宿の定助郷。寺院は鹿沼宿薬王寺末寺の真言宗円明院、修験は明宝院、鎮守は三社権現(現塩山神社)。
慶安郷帳 1648年
元禄郷帳 1701年
天保郷帳 1834年
一給支配=一村一領主、二給支配=一村二領主、三給支配=一村三領主というように旗本に
よる分給支配地である。
相給=複数の領主下 |