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むかしの下日向村
鹿沼の歴史 「鹿沼市史資料編 近世1」参考
下日向村
貞享3年(1686)家数60軒の内、8軒が13軒の家抱をもっていた。しかし享保10年には本百姓69軒・水呑17件で家抱は見えず、水呑として姿を現している。松楽寺は、暦応3年(1340)の創建といわれ、その後衰退したが、文亀元年(1501)、壬生綱房が外祖父日向城主横手一伯を再開基として現地に再興したと伝える。このとき臨済宗から曹洞宗に改宗したという。
下日向村の概要
下日向村は、足尾山塊を水源とする大芦川の流域に展開する沖積平地に位置する。江戸時代初頭には北隣の上日向村とともに一村を形成していたが、万治2年(1659)に上下二村に分村したとされている。村内の主要な寺社としては文亀元年(1501)に鹿沼城主壬生綱房が外祖父横手一伯を再開基として再興したとされる曹洞宗松楽寺や、延元2年(1337)の創建と伝える羽黒神社などがある。また、村内の字「堀之内」は、横手一伯の居館があった地とされている。村内を南北に貫く道路は通称「アカガネ街道」と呼ばれており、足尾で産する銅を運搬する道路であったことを窺わせるものであるが、それ以外の大芦川上流部の村々で生産される様々な商品も、この下日向を経由して他所へ搬出されていたのである。
参考
慶安郷帳 1648年
元禄郷帳 1701年
天保郷帳 1834年 |
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