むかしの酒野谷村
鹿沼の歴史 「鹿沼市史資料編 近世1」参考
酒野谷村
西は野尻村、東は村井村に接する。永正18年(1521)の記録に「酒谷之郷」とみえる。「慶安郷帳」では酒谷村とみえ、田387石余・畑274石余とある。雷電社・落合神社・八龍神社・八坂神社・稲荷神社・曹洞宗円明寺(元亀元年(1570)創建)がある。落合神社は、天正18年(1590)の創建で、かつては星宮大明神と称した。
酒野谷村の概要
酒野谷村は、大芦川と荒井川の合流点の東部に位置し、これらの河川によって形成された谷底平野上に営まれた村落である。村の東部には酒野谷古墳群があり、かなり古い時代からこの地に人々が定着していたことがわかる。戦国期の永正18年(1521)の芳賀高孝寺領寄進状には「酒谷郷之内東音寺」とあり、中世後期に存在した酒谷郷が近世の酒野谷村へと継承されていったと考えられ、村に残る文禄3年(1594)の検地帳にも「下野国落合庄酒谷郷御検地帳」とある。近世初期に分郷が行われ、上酒野谷村・下酒野谷村に分立し、上酒野谷は旗本領、下酒野谷は天領として明治に至っている。今日の酒野谷には主要な寺社として曹洞宗円明寺(加園興源寺末)、落合神社(旧村社)がある。字杉本に存在する稲荷神社は、江戸時代には杉本稲荷・酒野谷稲荷大明神と呼ばれ、上下両酒野谷村の住民を氏子とする酒野谷村惣鎮守であった。この神社は、宮座(みやざ=氏子によって構成され、祭祀を行う組織。)を現在に残しており、起源は中世にまで遡ると考えられている。
参考
慶安郷帳 1648年
元禄郷帳 1701年
天保郷帳 1834年 |