むかしの千渡村 (現在の千渡・東町3丁目・幸町2丁目・上野町)
鹿沼の歴史 「鹿沼市史資料編 近世1」参考
千渡村
千渡山のふもとにある。北に栃窪村、南は茂呂村、西は武子村に接する。「慶安郷帳」には田232石余・畑278石余とある。天保9年の家数85軒・人数374人で農間渡世として居酒屋1軒・醤油屋1軒がある。この村には神社が多い。二荒山神社・天満宮・羽黒神社・駒形神社・道祖神社・琴平神社・学大神社・八坂神社・二渡神社・山神神社・熊野神社・皇大神社・瀬戸神社などである。
千渡村の概要
村高は「慶安郷帳」では511石余、「元禄郷帳」では705石余。宇都宮藩領、甲斐国谷村藩領などをへて、足利藩領と下総国多古藩領の相給となり幕末に至った。天保9年(1838)時の家数85軒、人口374人。鹿沼宿の定助郷。足利藩領として、当村と深津村・白桑田村の三か村は上郷三か村と称された。寺院は曹洞宗竜蟠寺、真言宗宝性寺があった。
参考
慶安郷帳 1648年
元禄郷帳 1701年
天保郷帳 1834年 |