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●鹿沼市の風景 お寺       栃木県鹿沼市
上草久村、下草久村
金剛山瑞峯寺 真言宗
北関東三十六不動尊霊場は三密教の道場として、昭和63年につくられた。群馬県、栃木県、茨城県の関東北の三県のお寺で組織され、群馬県は「身蜜修業(手に印を結び)の道場」栃木県は「口蜜修業(真言を唱え)の道場」茨城県は「意蜜修業(心を集中させる)の道場」となっており、護摩を焚く寺を基準に選ばれている。
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むかしの上草久村、下草久村   
鹿沼の歴史  「鹿沼市史資料編 近世1」参考

上草久村
夕日岳・地蔵岳から流れる大芦川上流域にある。延宝(1673〜1680)の頃から幕末まで日光領であった。寛政3年(1791)の村明細帳せは、家数261軒・男701人・女536人・馬202疋で、山運上として毎年薪518束を日光門主役所、炭を日光本坊に上納していた。朝鮮種人参の御用作人が8人いた。嘉永6年(1853)報徳仕法が実施され慶応期に七町余が開発された。同年の家数219軒・人数1260人・馬61疋とある。村に、かつては金剛峯権現と称した古峯神社がある。
古峯神社
 
下草久村
大芦川の谷合にある。元和6年(1620)秀忠の日光山への所領寄進には草久村379石余とある。「慶安郷帳」には草久村とみえて上下両村で一村である。日光領として御霊屋掃除用の葉唐竹5本を納める。また、草久から小来川・山窪を経て鉢石宿に至る経路で花供行者が往来した。嘉永6年、報徳仕法が実施され慶応期に八反を開発した。姫宮神社は、大永年間(1521〜27)に創建されたと伝える。
姫宮神社  鹿ノ入の獅子舞

草久村の概要
草久は大芦川の上流の山中に位置し、ふるく足尾鉱山と日光を結ぶ街道上に位置した。貞和5年(1349)の刻銘をもつ板碑や中世の鰐口があることは、かつてこの地が街道の村であったことを物語る。文禄3年(1594)の検地帳には下野国落合郡鹿沼庄草久村とある。慶長18年(1613)、徳川家康は天海僧正に日光山を与え、今市(700石)・久賀の内(320石)草久の内(379石)三か郷と足尾村を寄進する。草久のうち上草久は、天和6年(1620)引き続いて日光山光明院・座禅院に寄進され、明暦元年(1655)より日光門跡領となる。下草久村は明暦元年から大猷院領となり明治に至った。