葛生町(くずうまち)は、県の南東部にある、人口12,000人余りの町でした。三方を山に囲まれ、中央部を秋山川が流れています。石灰石が取れることからセメント工場が多く、採石場もあって、何となく町の中がホコリっぽい感じがします。
かつて、小学校の教科書にも、明石原人と並んで、「葛生原人」が載っていました。昭和26年に人類学者の故直良信夫博士が発見して命名したもので、50万年前位の原人の骨とされたものです。 石灰岩はアルカリ性なので、骨も溶けずに残ります。北京原人の発見された周口店も確か石灰岩質だったと思います。
町では、町おこしのキーワードにこの「葛生原人」を使いました。毎年、原人まつりを開催し、参加者が思い思いの恰好で走る原人マラソンなども催されています。更に、町の中心を通る国道293号には、原人を模した大きな人形も立てられました。ところが、3年ほど前、この原人の骨とされていたものが、最新の放射性炭素による年代測定法により、15世紀頃のものである事が判明してしまいました。事実は事実ですから、仕方ないのですが、何とも気の毒な感じがします。
葛生町では、3年ほど前に、町内に住む資産家のコレクションをベースに、美術館を建設しました。このコレクションの中に、とんでもない作品が入っていました。江戸時代の画家伊藤若冲の「菜蟲譜」です。幻の絵画と言われていた作品です。長さ11mにも及ぶ長大な絵です。時々、展示されているようですので、1度ご覧になると良いと思います。
葛生町は、今年の2月28日に、田沼町と共に、佐野市と合併されました。
写真は上から
・葛生町並み
・秋山地区の古代の家
・秋山地区青少年教育キャンプ場
・葛生小学校のケヤキ