南河内町は、宇都宮の南にある、人口21,000人余りの町です。古くからの田園地帯だったのですが、昭和47年、自治医科大学ができました。これは、私立大学の区分になっていますが、国の自治省(今の総務省)が肝いりで作った医科大学で、全国のへき地の医者不足を解消するため、その人材を育てる目的を持っています。
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自治医科大学ができてから、グリーンタウンという大規模な住宅団地ができ、更にJR宇都宮線の「自治医大前」と言う駅もでき、宇都宮だけではなく、東京に通勤する人が住宅を建設し、人口が増えています。
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この南河内町には、7世紀末、下毛野朝臣古麻呂と言う人が創建した、下野薬師寺がありました。 奈良時代に入ってから、僧侶が増えすぎた事を憂えた朝廷は、正式な僧侶として認める授戒を行うため、唐の鑑真和上を招きます。
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何度かの遭難の後、来日した和上が、東大寺に戒壇を設け位を授けますが、地方にも戒壇を作る必要があったのでしょう。この下野薬師寺と九州太宰府の観世音寺に戒壇を作ります。東大寺の戒壇を含め、日本の三戒壇と呼ばれています。下野薬師寺のあった南河内町は、東国における仏教の中心地として栄えた訳です。
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下野薬師寺には、有名人が流されて来ました。弓削道鏡がその人です。道鏡は、サンスクリットも読める碩学であり、病気を治す事にも長けていたと言われております。孝謙天皇(女帝です。)の病気を治した事から、天皇(当時は上皇でしたが)に寵愛され、出世して行きます。
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しかし、称徳天皇(孝謙天皇が重祚したので、同じ天皇です)が、道鏡を皇位に付けようとして、宇佐八幡宮神託事件が起こります。和気清麻呂が、皇位につく事を不可とする神託をもたらしたものです。その後、称徳天皇が死去すると、道鏡も下野薬師寺の別当として左遷され、この地で亡くなったと言われております。南河内町には、道鏡の墓と言われる塚も残っており、その他様々な遺跡もあることから、町では、こうした文化遺産を活用したまちづくりを進めています。
写真は上から
■ 下野薬師寺跡・・・ 建物は一部復元された回廊跡です。
■ 安国寺・・・ 室町時代、足利尊氏が「薬師寺」を「安国寺」へ改称。
■ 安国寺六角堂・・・
戒壇を偲び、江戸時代に建てられたもの。屋根、柱、礎石のいずれも皆六角形の珍しい建物
■ 龍興寺・・・ 道鏡塚(円墳)があります。
■ 薬師寺八幡宮