湯津上村は、県の北東部にある、人口5,600人余りの村です。栃木県内では、今の所、この湯津上村と栗山村が「村」です。湯津上村は、塩原から流れている箒川と、 那須から流れている那珂川が合流する所にあり、比較的平地が多く、栃木県内では、有数の米どころになっています。僕は、余りお米の美味い不味いに自信がないのですが、ここの米は美味しいとの定評があります。
湯津上村の中心を国道294号が走っていますが、道路脇のそれぞれのお宅に、屋号の看板が立っているのに気が付きます。 昔から、栃木県内の農業地帯では、それぞれの家を屋号で呼ぶ習慣があったようです。これが、県内だけなのか、全国的にそうなのか、チョッと分からないのですが・・・。 例えば、「麹屋」と言えば、味噌屋さんと言う感じなのですが、昔の屋号なので、必ずしも今の商売と一致しない事もある訳です。そうした、昔からの屋号を高さ3m位の看板を立てているので、通りを通ると壮観です。
この湯津上村には、日本三古碑と呼ばれる石碑があります。「那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)」がそれで、西暦700年、当時の那須国を治めていた那須直韋提(なすのあたいいで)の没後、その子、意斯麻呂(おしまろ)等が韋提の遺徳を偲んで建てたものです。それから約1000年後、水戸黄門の名で知られる水戸藩主徳川光圀が、倒れて草に埋れているこの石碑に堂をつくり安置しました。碑文は、全文8行、19字詰め、152字で六朝風の書体で書かれており、宮城県の多賀城碑や群馬県の多胡碑と並び、日本三古碑の一つに数えられ、国宝に指定されています。
また、光丸山法輪寺と言う、行基が開山したとされる古刹があります。このお寺には、高さは2.14m、幅1.5m、鼻の高さ1.3m、重さ1tの大天狗の面があります。何でも、木製の天狗面では日本一といわれているそうです。湯津上村は、今でこそ過疎の村になってしまいましたが、古代から栄えた地域だった訳です。これで、一応県内の全市町村の紹介を終了しました。もう少し、色々な観点から紹介したいと思います。
写真は上から
・下侍塚古墳
・屋号の町並み
・笠石神社
・法輪寺