栃木県紹介          加瀬耕三(ペンネーム)
栃木県
1 栃木県 27 佐野市
2 栃木の由来 28 塩原町(現那須塩原市
3 足尾町(現日光市 29 塩谷町
4 足利市 30 高根沢町
5 粟野町(現鹿沼市 31 田沼町(現佐野市
6 石橋町(現下野市 32 都賀町
7 市貝町 33 栃木市
8 今市市(現日光市 34 那須町
9 岩舟町 35 西方町
10 氏家町(現さくら市 36 西那須野町(現那須塩原市
11 宇都宮市 37 日光市
12 大田原市 38 二宮町
13 大平町 39 野木町
14 小川町(現那珂川町 40 芳賀町
15 小山市 41 馬頭町(現那珂川町
16 鹿沼市 42 藤岡町
17 上河内町(現宇都宮市 43 藤原町(現日光市
18 上三川町 44 益子町
19 烏山町(那須烏山市 45 南河内町(現下野市
20 河内町(現宇都宮市 46 南那須町(現那須烏山市
21 喜連川町(現さくら市 47 壬生町
22 葛生町(現佐野市 48 真岡市
23 栗山村(現日光市 49 茂木町
24 黒磯市(現那須塩原市 50 矢板市
25 黒羽町(現大田原市 51 湯津上村(現大田原市
26 国分寺町(現下野市 52

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栃木県は、人口201万人弱、面積6,400平方キロです。人口は全国20位、面積も20位と両方ともに全国第20位だそうで、バランスが取れていると言えるかも知れません。
栃木県が関東地方なのか東北地方なのか分からないと言う声もありますが、間違いなく関東地方です。栃木県は関東地方1都6県(東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城、群馬)の中では、一番面積が広く、人口は一番少ない県でもあります。


















栃木県を南北に縦断して、東北新幹線と東北自動車道が走っていますが、 高速道路にはトンネルがありません。 東京を出発して、関東平野をズーっと100q以上北上する訳ですが、トンネルを造る必要がなかったくらい、平坦な土地が続いています。

新幹線は、直線を優先させた結果、トンネルが少しありますが…。 高速道路の通る都道府県の中で、トンネルのない所は極めて珍しいようです。栃木県が知られていない事は、どうやら間違いがないようです。 日光や那須に行った事のある人が、平然と栃木県には行った事がないと言う位ですから・・・。何故、知られていないのか、色々な理由が考えられます。
江戸時代に小藩や旗本領が分散していた事から、歴史的に知名度が低い。
●余り有名な出身者がいない。歴史上の人物でも、那須与一では、メインイベンターにはなりません。タレントでは、ガッツ石松さん、森昌子さん、山口智子さん、 最近では平山綾さんあたりでしょうか。
●災害が少ない。 災害が多ければ、それだけ知名度は上がります。
●これと言った特産物がない。最近は、イチゴが名産になっていますが・・・。
●栃木県の「栃」の字が余り使われない。栃を使うのは、「栃木」として使う位なのではないでしょうか? 栃の木と言うのもありますが、元々「栃」は「橡」が本来で、「栃」は和製の漢字です。同じ事が、埼玉県にも言えます。この「埼」も普通は余り使わないですよネ!
明治になって、今の栃木県の姿が出来上がったのは、明治6年6月15日です。 県では、この6月15日を「県民の日」としていますが、学校が休みでないため、余り知れ渡っていないかも知れません。
この6月15日は、それまでの「栃木県」と「宇都宮県」が合併した日です。 明治維新後、短期間の間に、旧天領や旗本領が統合され、 この「栃木県」と「宇都宮県」に収斂され、それが更に統合されて今の栃木県になった訳です。 この時の県令が三島通庸です。

当時、どちらの県の名前をとるか、県庁所在地をどちらにするか、 色々議論があったような気がします。 そして、その折衷案として、県名は栃木県、県庁所在地は宇都宮市との案が出てきたのではないかと推測しています。 まさに、妥協の産物として今の栃木県ができたのだと思います。
今も、県の南部に栃木市があります。蔵の街として売り出している、古い商都です。そこでは、昔の県庁の跡の堀が「県庁堀」として観光名所になっています。

写真は上から
・宇都宮城跡
・栃木市の町並み
・栃木市の町並み