国分寺町は、県の中央部からやや南に位置する、人口17,000人余りの町で、面積20.8平方キロメートルの県内では一番面積の狭い町です。
町には、JR宇都宮線の小金井と自治医大の2つの駅があります。小金井駅に操車場があるため、東京方面への電車の始発も多く出ています。
奈良時代の天平13年(西暦741年)、聖武天皇は詔を発して、全国に国分寺と国分尼寺を造営させます。当時の下野では、今の国分寺町に建設され、町の名前の由来にもなっています。隣接する栃木市にある国庁跡や南河内町に造られた下野薬師寺などとともに、奈良時代の下野の国の中心として栄えていました。
この両寺の遺跡跡に、県の「しもつけ風土記の丘資料館」が設置され、現在でも発掘調査が進められています。どちらの寺も溝と塀で囲まれ門や建物が南北に並ぶ、奈良の東大寺と同じ伽藍配置であったようです。国分寺跡は現在、林になっていますが、講堂・金堂・七重塔の基壇が残っています。
また、国分尼寺の辺りは史跡公園「天平の丘公園」として整備されています。特に、国分尼寺については、その所在が不明になっている所も多く、昭和39年の発掘調査で、全国でも初めて国分尼寺の全容が明らかになったそうです。「天平の丘公園」は、薄墨桜、八重桜の名所になっており、 シーズンには多くの人で賑わっています。今週末あたりが、見ごろかも知れません。町でも、「天平の風かおる花のまち」をキャッチフレーズに町づくりを進めています。小さな町ですが、歴史を踏まえた個性ある町だと思っております。
写真は上から
・国分寺
・国分寺
・下野国分寺跡
・紫式部の墓