益子町は県の東南にある、人口25,000人余りの町です。益子町の名前は、陶器の益子焼きで、全国的にも有名だと思います。厚手の素朴な感じの焼き物で、何かぬくもりを感じます。そんなことから。愛好家も多いのだと思います。
益子焼は今から150年ほど昔、茨城県の笠間で修行した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まると言われています。益子町に優れた陶土が産出されることなどから、家庭などで使う鉢や茶碗、土瓶など日用品として作られて来ました。大正の頃には、汽車の中でお茶を飲むのに使われる、汽車土瓶などと言う物も作られていたようです。
1924年、濱田庄司がこの地に移住します。濱田庄司は、東京の生まれですが、板谷波山に陶芸を学び、河井寛次郎とイギリスに渡って窯を作ったりします。更に、香港生まれのイギリス人のバーナード・リーチ、柳宗悦などとともに民芸運動に取り組んでいました。濱田の唱える「用の美」は、地元の工人たちに大きな影響を与え、益子焼は「芸術品」の領域に達することになりました。濱田は、昭和30年第一回の人間国宝の指定を受け、昭和43年には文化勲章を受章します。濱田やリーチの作品は、栃木県立美術館で見る事ができます。
現在、窯元は約380、陶器店は50軒ほどあるそうです。若手からベテランまでここに窯を構える陶芸家も多く、その作風は多種多様です。春と秋には陶器市が開かれ、全国各地から多くの観光客が訪れています。