都賀町は、県の南部に位置する人口14,000人弱の町です。 町の中心部を、東武鉄道の日光線が通っていて、家中と合戦場の2つの駅があります。町の土地の45パーセントが水田を中心とする農業用地が広がっています。
都賀町の出身者に勝道上人がいます。彼は、西暦735年(天平7年)、下野国の官吏若田高藤の息子として生まれました。
母親は芳賀郡の出身の明寿と言う女性で、里帰りをして出産したので、実際に生まれたのは、現在の真岡市になると言う事です。成人して後、仏門に入り、日光の開山を目指します。日光に行った時に、大谷川(だいやがわ)を渡ろうとしますが、急流であったため渡れず、神仏の加護を求めたところ、深沙大王が現れ、手に持った二匹の蛇を投げて橋としたと言う伝説があります。今でも、神橋として残されています。
その後、勝道上人は47歳の時に現在の男体山への登頂を果たしました。日光の中禅寺湖のほとりにある、中禅寺には、勝道上人が彫ったと言われる、立木観音と呼ばれる千手観音も残されています。男体山山頂の発掘では、勝道上人の時代よりも古い遺物も発見されていますが、関東地方の霊地として有名になるのは、やはり勝道上人以降のことなのでしょう。この日光に、徳川家康の霊廟である東照宮が建設されるのは、江戸時代に入ってからで、日光は1,200年以上昔から、霊場として多くの民衆の信仰を集めて来た訳です。
写真上から
・都賀町 龍興寺のシダレザクラ
・勝道上人の墓所(日光)
・深沙王堂(日光)