佐野市は人口83,000人余りの、栃木県南部にある市でした。今年の2月28日、田沼町、葛生町と合併して、127,000人余りの市として、新たにスタートしたばかりです。
JR両毛線が通り、東北自動車道の佐野・藤岡インターチェンジもあり、古くは例幣使街道の宿場町でしたが、今は工業団地に多くの企業が立地し、また最近では郊外に大きなショッピングセンターもできて、商工業都市として繁栄しています。
佐野市は、ラーメンの町としても有名です。市内には200軒以上のラーメン屋さんがあるとのことで、市の北部の湧水を使った、青竹打ちのラーメンで売り出しています。
佐野市出身の政治家として、田中正造がいます。天保12年、当時の小中村の名主の家に生まれた田中は、自由民権運動の政治家として、県会議員となり、議長まで勤めました。明治23年の第一回衆議院議員選挙で当選した後、6回連続して当選します。第二回の帝国議会で、足尾の鉱毒問題の質問趣意書を提出して以来、一貫してこの問題に取り組み政府を追及します。
明治34年には、鉱毒問題について、明治天皇に直訴しようとする有名な事件を起こします。直訴事件の直前、衆議院議員は辞職しましたが、この事件以降も渡良瀬川の遊水池計画の反対運動に尽力し、遊水池の候補地とされた谷中村(現栃木県藤岡町)に移住し村民と共に村を守るために闘いました。しかし、政府による土地収容法の適用や谷中村残留民家の強制破壊により谷中村は消滅してしまいます。
小林久三さんが、江戸川乱歩賞受賞作の「暗黒告知」で、田中正造の活躍を描いています。ミステリーなので、史実ではない部分もありますが、その状況が理解できるような感じがします。