「栃木」と言う名前の由来はよく分かりません。栃木市役所のHPを覗くと、『昔、神明宮(今の栃木市神田町)に天照皇大神を祀る神明祠があり、その棟に10個の千木がついていたので、十の千木、すなわち、とちぎ 「栃木」と名づけられたともいわれます。』とあります。
千木と言うのは、神社本殿の屋根の両脇にあって、上に突き出して交差した飾りです。この千木は、必ず2組セットの訳で、これが10本に見えると言うのがどうもよく分かりません。あるいは、神社の屋根にあって、棟と直角に交わっている「鰹木」が千木に見えたと言うのかもしれませんが・・・。栃木市のマークは、この鰹木を2本直交させて、そこに千木を1組2本斜めに交わらせたデザインになっています。






栃木県庁のHPでは、
【「十千木(とおちぎ)」説】
栃木市の中心部に神明宮という社があり、昔、この屋根にある「千木(ちぎ)」と呼ばれる柱が十に見えたため「十千木(とおちぎ)」と呼ばれたことから。
【トチノキ説】
その字のとおり、トチノキ(栃の木)が多く生えていたから。

【「崩壊地名」説】
栃木市内を流れる巴波川(うずまがわ)に浸食された崩壊地名をあらわす「チギル」に接頭語「ト」をつけたもの。』とあり 「十千木説」の他に2説挙げられています。どれが、正しいのか分かりませんが、それぞれ一長一短あるような気がします。

余談ながら、「栃」の字は、中国でできた漢字ではなく、日本でできた国字です。本来は「橡」を使うようですが、こちらにはクヌギと言う読みもあります。略字で、「杤」も使うようですが、何か締りがないので、少し付け足して「栃」になったのかも知れません。



栃木県には、現在49の市町村があります。
詳しく言うと、12市、35町、2村です。

明治22年に町村制が布かれた時の町村数は171でしたから、かなり市町村合併が進んでいます。 特に、昭和30年頃の、いわゆる昭和の大合併によって、170の市町村が60に減少しました。当時、全国では9,895の市町村が3,975に減少しています。県の規模から言うと、かなり少ない方だと思います。

ちなみに、隣の群馬県は69市町村、茨城県は83市町村、埼玉県は90市町村です。栃木県には、現在49の市町村があります。詳しく言うと、12市、35町、2村です。
明治22年に町村制が布かれた時の町村数は171でしたから、かなり市町村合併が進んでいます。 特に、昭和30年頃の、いわゆる昭和の大合併によって、170の市町村が60に減少しました。
当時、全国では9,895の市町村が3,975に減少しています。県の規模から言うと、かなり少ない方だと思います。ちなみに、隣の群馬県は69市町村、茨城県は83市町村、埼玉県は90市町村です。栃木県の各市町村を、僕の行った経験をベースにして紹介して行こうかと思っています。もちろん、現在の市町村についてですね。

写真は上から
栃木市神明宮拝殿
栃木市神明宮本殿
栃木市巴波川
栃木市役所別館

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