小山市は、県の南にある、人口153,000人余りの県内3番目の都市です。読み方は「おやまし」で「こやまし」ではありません。時々テレビのアナウンサーも間違える時があります。


小山市は、JR宇都宮線が通り、水戸線で茨城県にも通じ、更に両毛線で群馬県ともつながっています。JR線が十字に交差している交通の要衝です。更に、市内を国道50号が横断しています。東北新幹線の駅もあり、今では東京への通勤する人も多くなっています。
今から400年ほど前、この小山で歴史的な会議が行われました。1600年(慶長5年)、会津を領有していた上杉景勝が、豊臣秀吉死後の五大老体制に叛旗を翻しました。豊臣秀頼の命を受けた徳川家康は、5万5千の軍勢を率いて大阪を発ち、この小山に到着します。ここで、石田三成の挙兵を知ります。東と西でそれぞれ挙兵され、家康にとっては大きな勝負所だったと思います。上杉と石田が呼応した戦略だったのかどうかは色々な説があるようです。司馬遼太郎さんなどは、上杉家の謀臣直江山城守兼続と三成との間で密約があったように書かれています。小説としては面白いと思いますが、果たしてどうだったのでしょうか。
家康は即座に、福島正則や黒田長政、山内一豊などの諸将と軍議を開きます。この席で家康は、「上方に妻子を残し心残りの者は、遠慮なく兵を連れて引き上げてよい。」と述べました。 すると、福島正則が、「人質として残した妻子に未練はない。家康殿とともに三成を討つ」と大声で叫んだそうです。この正則の一言により、行動を決めかねていた諸将は家康の味方になることを誓い、家康は自分の思う通りに軍議を進行させることに成功したと言われています。家康としては、一世一代の賭けだったのかも知れませんが、これも小説では、事前に根回ししてあったように書いてあったものもあります。この評定が行われたのが、現在の小山市役所の場所らしく、現在石碑が建っているとのことです。
その後、家康が、関が原の合戦で石田三成を破って勝利を収め、徳川幕府を開いたことはご承知の通りで、この小山は歴史のターニングポイントとなった訳です。小山市は、交通の便や平地が多い事から、工業団地の造成を行い、工場の誘致を進めて来ました。現在では、宇都宮に次ぐ県内第二の工業都市となっています。 その発展ばかりに目が行きますが、このような歴史のある土地でもあります。

写真は上から
・琵琶塚古墳
・摩利支天塚古墳
・毘沙門山古墳
・城山公園のイチョウ
・高椅(たかはし)神社
・寺野東遺跡
栃木県紹介          加瀬耕三(ペンネーム)
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